記憶を再生する食べもの

朝晩すっかり涼しくなって、半袖だとにわかに肌寒い。秋がきた。暑さで消耗していた内臓各位も心地良い気候に本来の力を取り戻したのか、今は食欲が止まらない。天高く馬肥ゆる。気がつけば何かしらの食べ物を口の中でにゃむにゃむと転がしている。店(ブックバーひつじが)の営業が終わってから食事に行く機会も増えた。たとえ洗い物などの作業を数時間先の自分に丸投げしたとて、食べ始めるのは丑三つ時。体には良くない。良くないと知っていながらやめられない。やめられないのが秋。

近所には明け方まで営業している飲食店が何軒かある。ついこの間、数人と約束して閉店後、店から歩いて程近いところにある焼肉屋さんに乗り込んだ。夜中の焼肉。罪の味。本来の力を取り戻しているとはいえ、そもそも内臓はそこまで強靭ではない。肉を食べに行く日が決まってからはその日そのときに照準を合わせてひたすらコンディションの調整に努めた。普段はそこまで体調管理に気を遣っていない、それこそ食べたいときに食べたいものをもぐもぐ食べる自堕落な生活を送っているけど、そんな生半可な気持ちで肉と向き合ったら胃は確実に壊れてしまう。ガラスの胃袋。ストイックに取り組む目的を見誤っている感は否めないが、それでも予定日間近は極力胃に負担をかけない生活を心がけ、当日を迎え、肉を食べた。

眼前に“不惑”が迫るような年齢にもなると、我が身に起こる事象がきっかけで得る学びがいくつもある。「焼肉の時は焼き手に回れ」もそのうちの一つ。位置取りに気を遣うのは勿論、肉を焼くトングは必ず己の手が届く範囲、できれば手元に置いておく。一度掴んだら最後まで手放さない覚悟。代償として片手は常にふさがれるが、焼いた肉をどの皿に渡すかの采配が取れるメリットに比較されるものではない。それほどまでに肉の行先を掌握することは、焼肉の時間を最後まで楽しめるかどうかに大きな影響を及ぼす。少々贅沢な話かもしれないが、調子に乗って頼み過ぎ、とりあえず焼いてはみたものの行き場を見失っている肉を無理して食べることなく相手に寄越す。腹八分目に抑えることが非常に難しい焼肉の席でそれを行うことは、翌日への保険、未来への投資だ。

小さい頃に家族で行った焼肉屋で、父親がひたすら肉を焼いては皿に入れてくれていた。もぐもぐと肉を頬張る傍らで、食べたか食べてないかもわからない小さな肉片をちびちび摘み、それを肴にゆっくり酒を飲み、スープを啜る父を見ながら、当時は「どうして自分は食べずにこっちにばっかり肉をくれるのか。やさしい人だなぁ」とただただ感謝していた。海より深い親の愛。その甲斐もあって丸々と肥えた。だが、大人になるとわかる。食べたくても体がそれを受け付けなくなる現実に。時を経て、父親の行動の真意を知ったような気持ちになった。そんな父親との焼肉にまつわる昔話を、先日『おいしいが聞こえる』(ひらい めぐみ)を読みながらふと思い出した。

自分の食べたものを、まるっきり同じ感覚として、誰かと共有することはできない。自分の「おいしい」と、誰かの「おいしい」は違う。だけど、その事実を受け入れていてもなお、「このひとにおいしいものを食べてもらいたい」とひとが思うのは、エゴではなく、愛なのだと信じたい。

(『おいしいが聞こえる』P94より引用)

父親とのエピソードだけでなく、『おいしいが聞こえる』を読んでいるとなぜか次々とさまざまな食べものにまつわる人との思い出が連想される。ひらいさんの思い出話に触発されているのか。大きな青いポリバケツの中に真っ赤になった手をぐちゃぐちゃと突っ込んでキムチを漬けている祖母の顔。高校生の頃足繁く通ったお好み焼き屋で一緒にわかめご飯を食べた部活仲間の顔。新入社員時代に飲み屋で潰れるまでマッコリを飲ませてくれた上司の顔。いまだにその食べものや飲み物を見るたびにそれぞれ思い出す。最後のはあんまり思い出したくはないが……。

食べものは思っている以上に“人”とイメージが結びつきやすい。中でも、高校で仲良くなった友達のことは、ある食べものの「作り方」で思い出す。

(『おいしいが聞こえる』P11より引用)

食べている最中はそれを記憶に残そうだなんて思ってもいないのに、数年先数十年先まで頭の中にイメージが定着している。考えてみたら不思議でしかない。ただお腹の中に入れるだけでなく、思い出の再生装置として存在する食べもの。ひらいさんにとっての再生装置の話を読みながら、自分にとってのそれを思い返した。今年の秋はどんな思い出を増やそうか。そんなことを考えながら今は明日の晩御飯を何にするかを考えている。

▷書籍情報
『おいしいが聞こえる』
著者:ひらい めぐみ Twitter(@hiramelonpan
B6サイズ/182ページ

Text/シモダヨウヘイ
中央区白金で「ブックバーひつじが」を経営。2018年福岡に移住。買ったばかりの白い服に食べ物の汁をこぼすのが得意。利き手は左。胃が弱い。

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