何も起こらない日を忘れない

着実に日を重ね、あと一ヶ月そこらで今年も終わってしまうらしい。信じられない。仕事柄、毎日明け方に就寝するので、昼夜逆転とまではいかないものの起きる頃にはしっかりお天道様も登り切っている。外に出る時間帯はぽかぽかしていて、念のために着た重たい上着もあっという間にただの手荷物になっている。一向に冬を迎えないまま暦だけが進んでいるようで、不思議。

今日は珍しく昼前に覚醒したので昼食を自宅で済ませ、前の日に乾き切らず干しっぱなしにしていた洗濯物を取り込んでから家を出た。週末のイベントで珈琲豆が必要になり、バスに乗って六本松へ。この辺は新しい本屋がいくつか開店していて立ち寄るところが多くなってきたが、今日はバスを降りて真っ直ぐ「青柳堂」に向かった。途中、猫を2匹見た。当たりの日だ。

六本松でいちばん通っている本屋兼喫茶兼飲み屋。店主が自家焙煎していて、珈琲のことはよく分からないけど青柳堂の珈琲は美味しい。無知を振りかざし頓珍漢な質問をしながら豆を頼む。目的は達成したが、せっかく来たので珈琲を注文。例年だったらホットを頼んでいる時期だが、あまりにも暑かったのでアイス珈琲にした。季節感が狂っている。青柳堂の珈琲の味だけは間違いがなくて、それだけが救い。束の間談笑して、豆を片手に店を出た。案の定、上着を忘れていることに我が身の軽さで気がつき、蜻蛉返り。晴れの日の傘、暑い日の上着。忘れないようにと心がけていても、いつの間にか意識から消え去っている。それほどに楽しい時間だった。

なんとなく一日を振り返ってみたが、ひつじが営業前の時間は大体いつもこんな感じで過ごしている。外に出て、用事を済ませ、合間合間で人と話す。用事がないならないで近場のどこかしらに出向き、他愛もない話に花を咲かせる。体ひとつでは足りないぐらいに行きたい店が近所にあるので、時間や気分と相談しながら行く場所を決めている。その繰り返しで日々は流れる。

最近日記本を手に取る機会が続いた。連続する日々を書き留めた誰かの記録は、週間月間単位でするすると過ぎていく毎日を一日一日の単位に戻してくれるようで、読み進めるうちに駆け足で流れていた自身の時間も落ち着いてくる気がする。『決めない散歩』(かもめと街/チヒロ)もその中の一冊。

 毎日ステーキを食べているようなご馳走だらけの記事を眺めていたら、誰かにこう思わせたい、こういう人に読ませたいという気持ちをいったん全部なくした文章を出したい、と思うようになっていた。

 果たしてそれが正解かどうかはさておき。

 そうして、特になにも起こらない日常を綴った日記の本を作った。

(『決めない散歩』P2 はじめに より引用)

毎日必ず何か特別なことが起こるわけじゃない。誰かに伝えたくなるような一日や数年先まで覚えていられるような一日は、一年の中でどれぐらいあるだろう。少なくとも自分にとってそれは数えるほどしかない。数えるほどあるだけ有難い。記憶に残る出来事や新鮮な感動の裏側で、記録されないまま溢れて消えていく何も起こらない日々。日常。今日青柳堂に行ったことも数年後には忘れているだろう(この記事を読めば思い出せるかもしれない)し、四日前の晩御飯はもうパッと思い出せない。そうやって知らないうちに記憶から消えている時間が積み重なることで、月日の流れを足早に感じるのかもしれない。

短くなっているんじゃなくて、忘れているだけ。

先に引用した「はじめに」でもそう書かれているが、『決めない日記』には著者の日常が綴られている。何かあった日も何もない日も等しく一日としてカウントされて、積み上げられた記録。生活の描写。隙あれば何かしらの影響を与えようとしてくる情報に塗れた今の社会で、他人の何気ない一日の様子はあまりにもこちらに無関心で、それが逆になんだか心地よい。もっといろんな人の日常の記録が読みたい。そうやって日記本の沼にハマりつつある。

『決めない散歩』に記載のある期間(2022年4月24日〜2022年7月31日)と同じ日々を過ごしてきたはずだが、すでに大半の記憶は失われつつある。今更記録しておけば良かったなんて言ったところで腹水は盆に返らない。ちょっとしたメモでも良いから、なんでもない日のことを残しておこう。読みながら、そんなことを思った。明日日記帳を買いに行こう。

▷書籍情報
決めない散歩
著者:チヒロ(かもめと街) Twitter(@kamometomachi

Text/シモダヨウヘイ
中央区白金で「ブックバーひつじが」を経営。2018年福岡に移住。買ったばかりの白い服に食べ物の汁をこぼすのが得意。利き手は左。胃が弱い。

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