編集長の池田さん(僕が勝手に「白金師匠」と呼んでいる)から、また書いてみませんかとお誘いをいただいて、白金エリアの食や町、人、いろいろあるなぁと考えていたところ、「ココをちゃんと押さえておかないと真の白金住人じゃないよね」というところを思い出し、その地へ足を運んできました。
「なにか自慢できることはありますか?」と尋ねられて、僕は皆無に等しいくらいないんですが、唯一の自慢が47都道府県を制覇したことです。昔、テレビディレクターの仕事やプライベートで、日本全国をまわってきました。その土地の人に出会い、食をいただき、風を感じ、音を感じ、全てが違うその土地を五感で感じて、たくさんの友達もできました。
そんな僕が町を訪れて必ずやる、ルーティンのようなことがあります。それは町の神社に参拝すること。仕事で行くことも多いですから、「今回はお邪魔します。安全に撮影が終わりますようによろしくお願いします」と挨拶するようにしています(これをやらないと、ちょっと落ち着かないくらい)。
この福岡、白金にあるラップという会社に勤めて4年ほど経ちますが、実はお恥ずかしい話、最近ランチで町をブラブラしていて、白金にも神社があることを知りました。確かに、Google マップでも相当ズームして、ようやくちっちゃく名前が出てくるくらいです。そのときはお参りをしただけで、境内をじっくり見ていなかったので、今回は「真の白金住人」になるべく、改めて参拝に行ったというわけです。
その神社の名は「宇賀神社」。
アプローチの仕方は2つ。
白金方面からいうと、高宮小学校の正門前にある一本木公園の奥にあります。ただしこちらは神社の裏手に来てしまいます。
正式な参道というと、大きな鳥居の入り口は高宮通りの平尾北交差点より少し南側にあります。結構通っていたつもりなんですが、気づきませんでした……。
高宮通りの鳥居から大宮エリアの宇賀神社まで、そこそこの距離、いくつかの鳥居をくぐり、西鉄の高架をくぐり、また鳥居をくぐって、ようやく宇賀神社の正面へ。
立派な朱の鳥居と本殿。
神社にある「由来」によると、その起源はわからないものの、元々は田んぼの小さな祠だったらしいとのこと。歴史として明確になっているのは、江戸時代の享保年間。歴史の教科書にも載っている「享保の大飢饉」の後に、福岡藩藩主・黒田継高公が五穀豊穣などを祈り、拝殿などを造営したそうです。その頃は地名から「一本木稲荷」と名乗っていて、明治期に今の「宇賀神社」と改名。元々は、町の人々の幸せと豊穣の祈りの場所だったんですね。
江戸時代から時は過ぎ……2005年に起きた福岡西方沖地震で、この神社は注目を浴びます。
震度6を超える地震で神社でも被害が相次ぎ、拝殿も傾いた中で、天井に吊るされた「馬の人形」だけは、落ちることなく無傷のまま。それを聞いて「落ちない馬」として、受験生にとってのパワースポットになったのだとか。おそらく馬の人形は昭和4年の博多祇園山笠の飾り馬だったのではないかとのことですが、天を駆けているようでその姿はとても勇ましいです。
鳥居をくぐり、よく見ると右手には小さな祠、左手には社務所があります(社務所は普段は無人です)。拝殿で手を合わせ、落ちない馬に「人生から転げ落ちないように!」と祈願して、これでようやく、真の白金の住人「シン・シロガネーゼ」になれた気がします。
昔、田んぼの中にあった神社は、今、公園と小学校のそばにあり、いつも子どもたちの声が聞こえてきます。今も昔も、この土地の人々の幸せを見守ってきた、宇賀神社。
ちなみに今年、7月31日は夏越祭、12月8日は針供養の祭典が行われるそうです。
シン・シロガネーゼになるべく、ぜひ訪れてみてください。
Text/ミノツ ナヲフミ
東京でテレビ番組の演出を経て、長崎ハウステンボスへ転職。H.I.S.体制の元、宣伝とPR面から経営再建と地方創成を行う。2020年より白金の総合プロダクションLAPへ入社。仕事そっちのけで近所のおいしいものばかり探している。その合間にテレビやイベントのプロデューサーや企業コンサルティングなどを行っている、らしい。長崎県佐世保市出身。
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