深く潜り、己に出会う

寒暖を繰り返すうちに、10月が始まり、終わろうとしている。体感ではまだ10日あたりにいるのに、暦はしっかり月末を表示していて、不思議。世間は瞬間ハロウィンのオレンジ色に染まったかと思いきや、当日を迎える前からすでにクリスマスの気配が漂っている。「おせちの予約始めました」の案内を街中いたるところで見かけるようになり、自ずと思考は翌年へと飛ぶ。急かされている。もういくつ寝るとお正月が来るのか。考えたくない。

まだ今年も2ヶ月を残しているが、夜が長くなり気持ちも幾分内省的になっているのか、隙あらばこの1年を振り返るようになった。最近は店に立っていても油断すると「もう今年も終わりますねぇ」なんて口から出ている。そうか、もう今年も終わるのか。さすがに早すぎるかもしれないが、万が一やり残したことが見つかった場合、それを遂行する時間の余裕はあるに越したことはない。アディショナルタイムは長ければ長いほどドラマが生まれる可能性が増える。そう考えている時点でたぶん今年も何かしらやり残していることがあるのだろう。

2022年は年明け早々から時間短縮での営業、そして休業と、ブレーキを踏む日々が続いた。周年月でもある2月の営業時間は計60時間。ぎゅっと纏めたら2日半。ちょっとした旅行の期間程度しか店を開けていなかった。そりゃ時間が経つのを早く感じるわけだ。春になり、ようやく諸々の要請が解け、店も通常営業を再開。延期していた作品展も順次行い、減らしたままの席数で営業を続けている。すっかり慣れてしまったので、もうこの先ずっとこの席数でやっていくかもしれない。となるとそれを見越した売上が必要になるので、新刊本の販売を拡充すべく新たに棚を作り、そこに入荷した書籍を並べ、余ったスペースで駄菓子の販売も始めた。その売上でまた新たに棚を追加し、そこに書籍を並べる。席が減り、棚が増える。飲み屋と本屋のバランスを考えながら、年始の遅れを少しでも取り返すためにじんわりとアクセルを踏んでいる。

思考の大半は店に割かれているので、振り返ると自ずと店の話に着地してしまう。店のために生き、店に生かされる日々。もはや運命共同体。ブックバーひつじがの要素を取り除いたら自分には一体なにが残るのか。それを見つけるほうがむずかしい。自分の根っこに何があるのか。あらためて考える機会はそうそうないし、そう易々と言語化できるものではない。自分にもわからない自分は存在する。宇宙。この秋に風旅出版から刊行された『おまえの俺をおしえてくれ』(徳谷柿次郎)は終始その言語化に果敢にも挑んでいる。人生40年、構想4年、執筆4ヶ月、制作4週間をかけたおよそ30万文字の大作。圧巻の大航海。

『おまえの俺をおしえてくれ』。このタイトルに込めた意味は、己のアイデンティティに向き合って新たな発見と解釈を促すことにある。だれだって自分のことはよくわからない。どの土地に生まれたのか。どんな家族構成で生まれ育ったのか。景気に左右された社会背景の影響を知らずしらずのうちに受けていて、無自覚なまま大人のフィールドに放り込まれる。

(『おまえの俺をおしえてくれ』P2 はじめに より引用)

この書籍は「出版カウンセリングRADIO」というポッドキャストの文字起こしと、そのラジオでの語りを踏まえた内省録の繰り返しで構成されている。過去から現在に至るまでを順を追って丁寧に紐解きながら、著者の主観と聞き手として登場する土門蘭氏の客観から一人の人間が掘り下げられている。時系列に沿って語られているからか、読み進めるにつれ徐々に著者の人間性がわかっていく仕掛けになっていて、面識はないはずなのに不思議と知っている人の話を聞いているような感覚になるのが面白い。読み終わる頃には少なくとも二度一緒に飲みに行ったぐらいには著者のことがわかったような気持ちになる。極め付けは巻末に収録されている著者の身近な人たちによる寄稿文。これを読めば三度一緒に飲みに行ったぐらいには著者への理解度が増している。なんとも恐ろしい錯覚。いやでもそれほどに赤裸々に綴られている。著者のことを知っている人はもちろん、知らない人こそ是非一度この本を手に取ってほしい。

人生は短い。生きる情動の火もまた儚い。目の前にある「おもしろそう」の陽炎を追い続けて、たとえ途中で息絶えたとしてもかまわない。凡人は凡人なりの闘い方がある。手札のカードを守ろうと必死なおじさん共を社会のゲームから引きずり降ろそう。そのためには強いデッキが必要だ。カードを引き続けた奴だけがゲームで勝てる。

(『おまえの俺をおしえてくれ』P90「自分の居場所を探していた」より引用)

さらりと読めるインスタントな助言や痛み止め的な名言が書かれているわけでない。むしろその真逆。読むのに時間も体力も要する。だが、繰り返される対話と内省で綴られる言葉の節々からはそこらの自己啓発本が束になっても敵わない熱量がじんわりと伝わってきて、なんだか背中を押されているような、見守られているような気持ちになる。それもこれもジモコロやシンカイなどを通して誰かを応援し続けてきた著者から自然と滲み出ている風格が文字を通して伝わってきているのだろう。

書く時間は自分と向き合う時間と同義。悲しい記憶の「ない」も、おもしろい「ある」に変えることができる魔法。使わないと損だ。

(『おまえの俺をおしえてくれ』P406「あとがき」より引用)

いつの間にかこの本に促されるように、自分自身と向き合い、振り返り、拾ったものにあてはまる言葉を探すようになっていった。俺の中にいるおまえを探して。おまえの中にいる俺を探して。どこまで潜ればそれに出会えるのかはわからないが、見つかるまで挑み続けたい。

▷書籍情報
『おまえの俺をおしえてくれ』
著者:徳谷柿次郎 Twitter(@kakijiro
出版社:風旅出版
変形四六形(113mm ×182mm)

Text/シモダヨウヘイ
中央区白金で「ブックバーひつじが」を経営。2018年福岡に移住。買ったばかりの白い服に食べ物の汁をこぼすのが得意。利き手は左。胃が弱い。

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